日蓮宗のお寺の子として生まれる。
幼少の頃から、父親の海外布教のためアメリカはハワイのマウイ島で育つ。
僧侶でもあり医療従事者でもあった父の背中を追い、ハワイ大学医学部へ入学。
在学中、日中は病院研修等でアルバイトができないため、深夜のレコードショップでのバイトを始める。
そのご縁からハワイのラジオ局でレギュラー番組をもつパーソナリティーとなる。

ハワイのラジオ局で活動している中、当時世界中でブームとなっていたTKサウンドの発信地でもあったハワイのTK Studioで仕事を始める。

医療従事者となったあとも、医療と音楽活動を両立し、インディーズでCDを12枚リリース。
バンドマン、ラジオのパーソナリティー、音楽プロデューサーを続ける。

医療従事者と音楽プロデューサーを長年両立してきたが、30代半ばで父が遷化(僧侶の死)。
跡を継ぐために実家の寺「妙輪寺」の70代目住職となる。
医療従事者、音楽プロデューサー、住職という3足のわらじを履くこととなった。
そこで現代の日本での寺院の運営がとてつもなく困難だということを知る。
信仰心だけではお寺はつぶれてしまうということを痛感し、経営能力を身に付けるために寺院運営について独自に何年間もの間勉強・研究する。
より専門的な知識が必要となり各種国家資格等を取得し自坊を立てなおす。
自坊の運営は安定したが、いまだ他業種の下請け業者化している寺院が多く、運営が困難となりつぶれるお寺を身近で目の当たりにする。
このままでは寺院の多くが消滅してしまうと危機感を感じ、寺院運営の専門家を集結し寺院専門コンサルティングチーム「寺院革命」を立ち上げ、全国の僧侶のために国内を飛び回る。
宗門の活動としては、母国語が英語なため海外布教の仕事が増え、僧侶として海外に行く機会が多くなる。
そこで出会った多くの日本仏教の外国人信徒達が、「いつでも日本のお経を聞きたい」と熱望。
外国人信徒達の要望に応えるため、YOUTUBE等でお経の配信を始める。
さらに世界での活動の幅を広げるため、日本人僧侶として初めてお経での世界デビューを果たし全世界でお経の配信を始める。

日本の文化でもある、素晴らしい「日本のお経」を世界へ届けるため、僧侶による僧侶のための音楽レーベル「Myorinji Records」を立ち上げる。
自分のお経を全世界へ広めたいけど、そのノウハウがないという僧侶のサポートを始める。
布教活動は日本から全世界へ